アメリカ家族農業の歴史と今日的意義(2)-「家族農業の運命」を中心に(2011発表)-

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4.独立自営農民ヨーマン―18-19世紀― (第1章より)

ヨーマン(yeoman)とは、

元来16-17世紀のイギリスに存在した小規模農民(独立自営農民)のことである。

 

日本の政治経済学者でキリスト者であった大塚久雄は、

イギリスを近代と民主主義のモデルケースと考え、

独立自営農民ヨーマンがその発展を支えたとした。

 

一方アメリカでは、

ヨーマンは18-19世紀の奴隷を持たない小規模な自作家族農民の呼称であった。

土地が痩せていた南部では、ヨーマンは通常自給自足農家であったが、

北部では、ほぼすべての農場がヨーマンによって家族農場として営まれていた。

 

南北戦争後、ヨーマンの福利厚生向上を目的にグランジなどの農民組織が設立された。

第三代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンは、

ヨーマンが共和制の基礎であると主張した。

 

ジェファーソンは、

アメリカにおけるアグラリアニズム(後章参照)に関する文学的伝統の最大の発信源で、

アメリカ人の農業そして家族農場に関する思想に多大な影響を与えてきた。

以下、ジェファーソンの言葉である。

 

「もし神が選民を持つとしたら、大地に労するものこそは神に選ばれた人々である。

神は彼らの胸に、豊かな真の道徳という神固有の寄託を与えた。

それは神が聖なる炎を燃やし続ける焦点であり、

彼らなしではその炎は地表から消え失せるかもしれない。」

 

「大地を耕すものは、最も貴重な市民である。

彼らは最も精力的、最も独立的、最も道徳的である。」

 

ジェーガーによると、この200年間

「数え切れない時と場所で、多くの作家がアメリカのヨーマン農家の徳

―倹約、自給自足、信頼、常識、誠実、・・・正義、報恩、勤勉など―を理想化してきた」。

 

また「農村の健全性、忠誠な家族、素朴な徳の紋章であった農場の光景は、

廃頽的な都会に対する象徴的な対照として提示されてきた」。

 

しかしこの対比は、

「ローマ時代の作家の農業論にまで遡り、

ジェファーソンによって情熱的に増幅された安易で月並み」なものであった。

 

そして「歴史的展望、単純な歴史、ロマンス、理想主義、

そして陽気なたわごと―19世紀の中期までにこれらすべてが一緒になり、

アメリカ家族農場の多面的な牧歌的象徴として融合した。」

 

なお、当時の大統領は古典文学に精通すると同時に農業の実際にも精通していた。

「ジェファーソンは初代大統領ワシントンと輪作、鋤、家畜糞、トウモロコシと

ジャガイモの間作に関する理論などについての議論を手紙の中で交わしていた」。

 

一方、ジェファーソン自身は土地を耕すことなく、

600人とも言われる奴隷が、彼の農場で耕作に従事していた。

レポート「行動の時」がキング牧師に捧げられたもう一つ別の理由が、

奴隷保持者であったジェファーソンへの批判と見るのは考えすぎであろうか。

 

5.小規模有畜複合経営の開花―20世紀中期―(第1章より)

ジェーガーは自分が育ったミシガン州の農場について、

以下のように記述している(Jager, 1990)。

 

「われわれの農場は、

当時典型的であった数百万件はあったであろう伝統的アメリカ農場であった。

その農業のやり方をひとことでいえば、高度に多様化し、かつ統合されたものだった。

中西部では、20世紀中期であっても

―特に大恐慌期のあとに農業を始めた人々の間では―、

複合経営こそが農場運営の原則であると強く信じられていた。

農場での必要性と市場の需要に応じた多様な作付は、

自ずと栽培規模を適度なものにした。

一種類のうね作物(野菜類)は10エーカー(=4ヘクタール)作れば多いほうだった。

さらに、土壌自体―特に肥沃ではなかったが―輪作を必要とし、

さまざまな畑作物(穀類)を作らねばならなかった。

土壌は厩肥を必要とし、そのために家畜が不可欠であった。

複合化は、不作時の保険として経営上の必要でもあった。

ある年はジャガイモが疫病になるかもしれないが、豆は頼りになるかもしれない。

牛乳の価格は下落するかもしれないが、卵は大丈夫だろう。

もしだめなら、鶏を売り、穀類を牛に与え、クリームを売ればよい。

このように、農場というシステムのすべての主要な要求

―資金繰り、家族の扶養、万一に備えての保険、予測可能性、30年か

それ以下で農場の元を取る必要性―がささやかな複合農場のリズムと多様な要因に、

しっかりと調子を合わせていた。これが一種の伝統的アメリカ農業であった。

数百年の歴史を持ち、多様な作物を栽培し、馬力または人力に依存し、

きわめて重労働で、必ずしも効率的ではないがしかし自給自足であった。

これが20世紀中期まで繁栄していたのだ。

続く20世紀後半に、それが朝露のごとく消え去ることにはまったく気づかずに。

・・・マメ、トウモロコシ、ジャ ガイモ、牧草、小麦、オート麦、テンサイ、サヤエンドウ、

牛、豚、馬、鶏、犬、猫、材木置き場、沼、牧草地、池―これらのすべて、

そしてそれ以上のものが80エーカー(=32ヘクタ ール)に詰まっていた。

当時その地域のほとんどの農家にとって、

そうした適度の大きさの複合経営という原則を破ることは、危険なことであった。」

 

興味深いことは、1950年代という戦後間もない時期に、アメリカで、

これだけの自給的小規模(といっても日本の農場よりは、はるかに大規模であるが)

有畜複合経営が、それまでの家族農業の蓄積として営まれていたということである。

 

有畜複合経営とは、

日本の有機農業において一つの理想的農業形態であるとされてきたものである。

そしてそのような農業形態の背景には、大恐慌の教訓があったという。

 

「顧みると、記録もこれを裏付けるように、この世紀の思想と農業の理想は、

荒涼たる時代として未だに鮮明に記憶されていた大恐慌(1929-1930年代後半)

への心情に基づいていたといえる。

確かにこれは過去のことであったが、年配の大人たちは、

ちょうど大恐慌が第一次大戦後の好景気直後にあったように、

戦後最初の好景気後に恐慌が再来しない保障はないと感じていた。

当時の農民は、未だ過去に指導と知恵を求めており、そうした思考上の習慣が、

数世代のうちに時代遅れになるなどとは全く想像できなかった。

彼らの農業のスタイルは、抽象的な成功という観念を達成するのと同じように、

災難を回避あるいはそれに直面することを前提に設計されていた。」

 

「これらの農場において、

自給自足は、思想や決まり文句といったものというよりも、習慣であった。」

 

地域による差異はかなりあったと思われる。

しかし、アメリカにも50年前にはこういう農業が主流として存在したのかと思うと、

今昔の感ひとしおである。ジェーガーは続ける。

 

「このような小規模農場では、

責任そしてモノそれ自体―動物の群れ、圃場、道具―が、理解可能で、

人間的に管理できる範囲のものである。それらは統合され有機的に関係しており、

適切に管理さえすれば、お互いに支えあう。

それぞれの農民は自分の土地について精通しており、

その癖も長所も短所も理解している。自分の食卓に上る農産物の大半は自給である。

隣人と付き合い、一緒に仕事をし、収穫時には労力を交換し、お互いに手を差し伸べる。

地域社会、農場、生態系、作物、植林地、動物、家族、庭、仕事、隣人、賛美、娯楽

―お互いに約束し、必要に応じて、緊密なシステム、生活の総合的コミュニティーを形成する。

その結果、農場の家族は、

そのなかに多くの多様な要素からなる一種の無形なハーモニーを見出す。

それは一元的な21世紀の商品作物農場のなかでは、

見つけることも作り出すことも難しいものである。」

 

しかし、こうした家族農場は50年代以降急速に減尐していく。

 

「当時そのようなライフスタイルを経験した多くの人々にとって、

産業としての農業の破滅的な力―専門化、複雑な技術、規模、垂直的統合、

企業の吸収・合併など―は地平線の下に隠れ たおぼろげなる危機に過ぎなかった。

一部の人々には、戦後の一時的な家族農場の弾力性と見かけ上の成功が、

あたかも歴史が長いあいだそれに向かって進んできたかのように見えた。」

 

「そのシステムは、当時想像もできなかった新しい農業のやり方に対して、

きわめて脆弱であった。それは全く持ちこたえることができず、現に持ちこたえなかった。

広く恐れられていた戦後の好況に続く農村大恐慌は来なかったにもかかわらず、

適度な大きさと伝統的農業の年輪を重ねた調和は、

20世紀中期の農場において分解され、減退した。

しかし、以来半世紀を経た今日においてすら非常に成功しているアーミッシュの農業は、

歴史的、経済的、心理学的に、当時と全く同じ複合化し統合化された実践的スタイルに

しっかりと根付いていることをも記憶すべきであろう。」

 

「50年という時を経て顧みると、20世紀中期の農村の確信が、

必ずしも歴史的あるいは経済的事実に基づいていたわけではないこと、

また当時の一時的な現象が、周囲のあらゆる世界が方向を変えていた時代に

生き残れなかったことは理解できる。

しかしそれは アメリカの農村と家族農場に関するある種の複雑な真実を含み、

それを表現していたことも事実である。」

 

では、一体何が家族農場を崩壊に導いたのか。

次にそれを見る。

 

6.成功の皮肉―20 世紀後半―(第 8 章より)

「豊富な作物に極端に安価な食料。

当然、人はこれをアメリカ農業の成功というかもしれない。

しかし成功は、巧妙かつ口の重い女主人で、選択的な視点に容易に迎合する。

農業の『成功』には、地域規模であれ国の規模であれ、多くの側面、多くの意味合い、

多くの形態、多くの不明瞭なコスト、そして多くの定義があり、

この用語自体、かぎ括弧による擁護抜きで安心して使えることは、むしろ尐ない。

家族農場はもはや孤立した自給的存在ではない。

あらゆる場所の農場は、地域社会の内側、経済、無数の資材産業の内部、

農産物を加工し販売する産業などのなかに深く組み込まれている。

長期にわたるアメリカの18世紀式自給自足農業からの撤退は、

農場から食料までの事業を一つの分析単位として考えることが、

単に有効であるのみならず、必要である状況をもたらした。農場と食料。

もちろんこれは大まかな、どっちつかずの抽象化であるが、

最も重要な問題は体系(システム)としての問題であるため、

現在の経済はこのような用語で考えることを余儀なくさせる。

食料と農業の数多くの密接な関係は、重要であると同時に複雑で、

また最も不可解な皮肉の原因でもある。

生産の倫理がアメリカ農業を席巻していること、

そして安い食料の倫理が食料産業を席巻していることは明らかである。

そしてこれらは密接に関連しており、互いに助け合っている。

1950年には、平均的アメリカ人は収入の30パーセント以上を食料に費やした。

2000年には、これが約10パーセントとなった。

1950年には、農民は消費者が費やす1ドルあたり50セント以上を受け取った。

今日それは20セント未満に過ぎない。

消費者が食料に費やす収入の割合はかつてないほどに低く、

農民はその尐ない部分のより尐ない割合を受け取る。

こうしてみると、産業化した農業は、

生産効率―ほとんどそれのみ―が成功の指標であるという

狭くて魅力的なアイデアを制度化してきたのではないか、と思えてくる。」

 

農場―食料産業の論理

ジェーガーは、農場―食料産業の経済を以下の5つの単語で要約できるという。

・専門化 (specialization)

・合併(consolidation)

・契約(contracting)

・統合化(integration)

・グローバル化(globalization)

 

これらはいずれも伝統的な農業用語ではなく、

第2次大戦の終わりごろのアメリカの大半の農場には当てはまらない言葉であったという。

しかし「今日これらはアメリカの農場のいかなる描写でも、

その心臓の近くに横たわっている。

これらの言葉で代表される過程は、個々では、

さほど脅威を感じさせるものではないようであり、特に興味深くも、新しいわけでもない。

しかし集合的に、市場のなかに放り込まれると、より不吉なものとなる。」

 

農業技術の論理

「技術それ自体も、それが農場に持ち込まれ、時間と機会が与えられると、

冷淡で無情な論理を生じることがある。

確かに、多くの技術的発明は農家の生活を向上させた。

これによって物理的な労働が軽減され、しばしば労働の安全性を高め、

わずらわしさが減尐した。

しかしそれと同じくらい確実に、技術は総体として農家の誘惑者であり、

彼らを酷い目にあわせてきた。

農業技術の論理は、きわめて単純で、その核心はいくつかの段階として描くことができる。

しかもそれは非常に残酷かつ強力で、

過去そして現在の多くの家族農民は、アメリカ資本主義

(ほとんどの農家が崇拝している)が彼らに対して為したことをまったく信じられないでいる。

過去50年間の数多くのアメリカ家族農場の経験が、

簡単な抽象的概要によって説明できてしまうとは、まったく驚くべきことである。

 

第1段階:ある農民が一定の生活水準を持っていて、仕事の効率を高め、

それによって彼の商品作物の単位あたり生産コストをわずかながら減尐させる

新しい技術の一端(脱穀機、搾乳 機、コンピューター)を導入する。

農民はこれによってわずかに多い利益を手にし、

それを導入技術への支払いに充て、おそらく販売利益をも得る。これを進歩と呼ぶ。

 

第2段階:他の農家が新しい技術の利点を見て、彼らもまたそれを導入する。

これらの農民の生産における全体の効率向上は、

間違いなく、より多くの商品を市場に供給する。

 

第3段階:市場が、商品の増加と、より多く販売しなければならないという要求に、

消費者側および生産者側両方の価格を下げることで対応する

(介入加工業者、輸送業者、流通業者も この影響を受ける可能性はある。

ただし彼らには、より多くの仕事が入る)。

このようにして、 農民の生産単位あたりの収入は減尐する。

 

第4段階:新しい技術が、より多くの作物生産を可能とするので

(単位あたりの価格は以前より低い)、

生活水準を維持するため、農民は規模拡大に踏み切る。

 

第5段階:低下した単位あたりの生産物価格が、より小規模で、

効率の低い農場を締め出し、最終的にそうした農場を消滅させる。

 

結果:尐数の大規模な農場。すべてに多額の投資とリスクを伴う。

そして(システムに悪意はないことをわれわれに信じ込ませながら)、

消費者側では、価格が低下する。

成功?

 

もちろん、この論理は、これ以外にもさまざまな結果をもたらす。

尐数の大規模な農場―これは地域共同体の健全性、小規模な町の経済、

農村部の生態系、市民の選択の余地など数多くの社会的影響を及ぼす。

しかし、これら個々の問題に対して、個人、政策、あるいは政治的定がなされても、

それらはほとんどそこに横たわっている論理自体を変えるには至らない

(至るようにはなっていない)。

 

実際、この論理はほとんど制限されることのない目に見えない力であり、

現代の農民がそれを回避することはほとんど不可能である。

この論理の力は、彼ら自身の農場の福祉に関する個々の農民のまったく

正当な決断の集積による効果に直接起因する。」

 

「農業技術の論理は、その結果が農民の利益増大ではなく、

むしろ消費者への安価な食料品の提供であることを確実にする。

これは成功であろうか?あるいは残酷な皮肉か?」

 

「この話には明らかな悪役はいない。

しかしこれは、技術と規模の報酬が、生産者ではなく、

販売者と購買者に行くように構成されたシステムの話である。

その最終的な結果は、明らかにわれわれの国がつねづね家族農場から、

そして家族農場のために求めてきたものではない。」

 

さらにジェーガーは、この論理が農場全体の経済、

そしてアメリカ社会全体に生じている悪循環にも当てはまると主張する。

アメリカ家族農業の歴史と今日的意義(3)-「家族農業の運命」を中心に(2011発表)-へと続く

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