Flight Tourで機中からみたヒマラヤ山脈
東京農業大学 板垣 啓四郎
2017年の夏、ネパールの農村を訪ねた。2013年に初めて同国を訪問したので、今回で2度目の訪問である。前回は、ネパールから来た院生の調査指導のため、西部に位置するブトワルで野菜流通の調査にあたり、二人で地方における野菜の出荷経路を丹念に調べた。今回は同様にネパールからきた留学生が研究対象とする調査地への訪問であり、首都カトマンズから北西へおよそ90kmの地点にあるフィクリ村へ行った。ブトワルが比較的平地の水田地帯であるのに対し、今回の調査地は急峻な山々が連なる山岳地帯である。
この山岳地帯で、どのような農業・農村活性化の糸口を探ることができるかが、今回のテーマである。フィクリ村は平均標高1400mほどのところに位置し、山間の斜面にあちこちに農家が点在している。村の人口は4500人ほどと聞いた。山の急斜面をテラス状にして農地化し、そこにコメ、ヒエ、トウモロコシ、ミレットを主作物として栽培し、農家の近傍ではジャガイモ、サトイモなどのイモ類、各種の葉菜と果菜からなる野菜、ナシを中心とした果実を作っている。また各農家には必ず畜舎があって、バッファローとヤギを飼養している。平均0.4haほどの狭隘な農地と屋敷畑にこれらの作物を栽培し、家畜を飼養しているのである。余剰農産物があれば販売するが、何しろ市場があまりにも遠い。典型的な家族労作経営、文字どおりSubsistence Farmingである。村の年配者は、「以前は主作物しかなかったが、作物の種類が増えた」といっていた。それでも自給的農業であることに変わりはない。
フィクリ村の村長にこの地域の農業上の課題について話を聞いた。村長によると、灌漑施設と道路の不備という基礎インフラの不足を挙げ、加えて農業者に技術、知識および情報、資金のアクセスが決定的に不足していることを嘆いていた。要するに、村へ新しい技術や知識を投入する人材が不在で、普及制度がないことが農業の進展を阻んでいるということであった。そのために、優れた技術とそれを普及する力量をもつ人材の投入はいうまでもないが、ここに農業者を育成する研修センターがほしいと提案していた。また村内では、農地と居住地が、標高500mから2700mまで広がっていて、標高差に応じた農業システムがそれぞれ出来上がっており、そこにシステムのポテンシャルを活かす新しい作物や品種を導入し、それを起点として環境に適応した土づくりや病害虫防除などの技術展開、村長がいうには、「農業自体を変革する」仕掛けづくりが必要と力説していた。なるほどと納得のいく話ばかりであった。しかしながら、インフラ基盤がぜい弱でかつ市場が遠くて狭小、技術や資金、人材育成へのアクセスがほとんどないところで、生存ぎりぎりの自給農業に依拠しているこの村に、農業を発展させ、地域を活性化する糸口がはたしてどこに見出せるというのであろうか?程度の差こそあれ、こうした状況におかれているアジアの農村をこれまで数々見てきた筆者にとって、その方向性を具体的に指し示すことはきわめてむずかしい。
そうしたなかで考えたのが、農産物を購入してくれる人々の意識をいかに村に引きつけるかということである。市場の存在、つまり買い手がいないことには突破口が切り開けそうにない。かといって村は同じ作物をつくる農家だけで成り立っており、互いが買い手にならない。買い手を引き寄せるには、外部からこの村に来てもらうほかない。そのキーワードとなるのがアグリ・ツーリズムである。
幸いなことに、フィクリ村はヒマラヤ山脈の山麓に位置し、風光明媚なところである。山間のフィクリ村から下ったところにある国道からは中国との国境まで、わずか80kmの地点である。カトマンズと中国との国境を結ぶこの国道は、現在、中国からの支援を受けて急ピッチで拡張工事が行われており、工事が完成した暁には、中国のいう現代版シルクロード「一帯一路」の一つの重要な幹線道路になるにちがいない。そうなれば、国内外から大勢の観光客がこのあたりを訪ねることは間違いない。国道沿いに農産物の直売所、地元産の農産物を使ったレストラン、駐車場などを兼ね備えた「道の駅」を完成させれば、ヒマラヤやチベットへ向かう観光客が多く集まるだろう。水や土壌にはまったく汚染がなく、化学投入財を使用しない農産物は安全そのものである。地元の農産物に公認団体が何らかの形で産地や安全性の認証を与えれば、ブランド力がにわかに高まる。国道に沿った河川は急流でラフティングには最適である。国道からフィクリ村までは険しい道を登らなければならないが、そこをトレッキングのコースにして農家をステイ先とし、そこから遠くヒマラヤ山脈を見渡す絶景に浸れば、観光客の満足度は十分に高まるだろう。村には多種類の小動物や鳥類が生息し、また多様な植物や花があり、サンクチュアリも十分に楽しめる。
国道からフィクリ村までの地域一帯をアグリ・ツーリズムのエリアにするという構想である。夢のような話であるが、現状の自給的農業では発展の活路が容易に見出せないなかで、地元の種々の在来資源を可視化してそれを有効活用し、道路の完成など外部環境の変化を待ってそれを内部資源化していく。そしてここを訪ねる顧客を「市場」に見立てれば、確実にアグリ・ツーリズムとしての経済アクティビティを実現できよう。さらに顧客の高まるニーズに応えるべく、直売あるいは食材として用いる農産物の品質、またアグリ・ツーリズムに関わる様々なサービスの質を段階的に向上させていかなければならないが、そのためには地元民が学習と努力を不断なく積み重ね、新たな付加価値を形成していかなければならない。それが発展というものであろう。
わが国をはじめとする国際協力も、官民が一体となってそれを支援する方向で進めていけば、地元民から深く感謝され、農業・農村開発の新しいモデルケースになっていくにちがいない。
いま筆者が担当させてもらっているフィクリ村出身の院生(東京農業大学大学院)は、アグリ・ツーリズムを通じた農業・農村の活性化を目指して、目下その構想を研究のテーマとして奮闘している最中である。
フィクリ村からの眺望
フィクリ村へ行く途中の山間の眺望
山の斜面を切り拓いて造成された棚田
フィクリ村出身の院生の実家
道路の拡張工事
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