東京農業大学国際食料情報学部 板垣 啓四郎
新聞を読んでいると、ほとんど毎日といってよいほど食料問題が取り上げられている。世界の食料需給は、需要が安定かつ堅調に伸びているのに対して、供給は不安定に推移しており、この不安定さが国際食料価格の乱高下につながっている。しかもどちらかといえば、価格が強含みで動いている。供給の不安定は、世界的な異常気象やそれによる大規模な天災、あるいは家畜の病原菌感染などが背景にあることは間違いないが、世界規模でうごめく多国籍企業や巨大商社による投機筋の動きがこの傾向を増幅している。豚肉とコーヒーを事例に挙げてみよう。
しばしば報道されているように、アフリカ豚コレラの発生に端を発した中国の豚肉不足はかなり深刻で、中国の国内では通常の半分しか市場に出回っていない。当然のことながら価格はうなぎのぼりで、通常価格の2倍から3倍へと跳ね上がっている。豚肉は中国における食の中核であり、この状態が長く続くと社会的な暴動に発展する恐れがあり、不満の矛先が政府に向かう可能性がある。政府にとっては頭痛の種である。この状態を少しでも緩和するために、米中貿易摩擦に揺れるなか、中国はアメリカに対し豚肉の輸入規制緩和に動く兆しを見せている。実は豚肉だけでない。食料油も不足している。中国における植物性食料油は、そのほとんどが大豆である。大豆から油を搾った残りかすは、豚肉のエサに回っている。これまで大豆の一定割合をアメリカに依存してきた中国にとって、不足している豚肉とともに大豆もアメリカから輸入したいというのが本音である。アメリカにとっても、来年の大統領選を控え、中西部の票を取りまとめたい政府にとり、大豆や飼料作物を栽培し家畜を大規模に飼養している地域や農家に、中国という格好の輸出先を浮上させることは願ってもない朗報なのである。政府と地域・農家の間に位置するのが先ほど述べた多国籍企業や巨大商社。これらは政府の非常に手厚い庇護のもとにある。何よりもモノ・カネ・情報を握っている。中国の背後をこれらの企業や商社が揺すぶった可能性は十分に考えられる。
ご存じのように、コーヒーはアラビカ種とロブスター種に大別される。このうち世界のアラビカ種市場占有率は70%を超えている。ところが、近い将来コーヒーの市場取引価格が大幅に上昇するだろうと予想されている。これも需要と供給のバランスが極端に不安定になっていることに起因している。コーヒー需要のうち、とくに中国のコーヒー消費量の伸びは際立っており、過去5年間で2倍にも膨らんだ。もともと中国にはコーヒーを嗜む文化は希薄であったが、食のグローバル時代を迎えて、今後とも需要が伸びていきそうな勢いなのである。かといって国内には有力なコーヒー産地はなく、輸入で調達するほかない。一方で、アラビカ種のコーヒー生産が停滞から下降へと向かっている。アラビカ種は、もともと熱帯・亜熱帯地域の冷涼で水はけがよく日照が強い高原地帯を適地としている。ところが、地球温暖化の影響で適地が不適地へと変化しつつある。アラビカ種の香ばしく酸味や苦みのあるセンシティブな味わいは、次第に色褪せていっている。これに代わるのがロブスター種である。ロブスター種の栽培は、アジア地域の熱帯モンスーン気候に適し、高温や湿気に強い。べトナム、ラオス、そしてインドネシアが主要な産地だ。地球温暖化のもとでは次第にこちらが主力になるともいえるが、濃厚な味であるもののセンシティブな味わいにはほど遠い。ロブスター種が市場を席捲するには、コーヒー自体のコンセプトを大きく塗り替える必要がある。とはいえ、アラビカ種からロブスター種へ一足飛びでコーヒー市場が変わるとは到底思えない。今後、多国籍企業や巨大商社が消費者の嗜好が強いアラビカ種を買い占めて、国際価格が暴騰する可能性は否定できない。
食料は安定的かつ安価に供給されていて当たり前と考えている消費者がいるとすれば、消費税増税で気持ちがくすぶっている以上のより深刻な事態が次第に差し迫っていることに、意識を向けてほしいものである。
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