日本は3月11日、東日本大震災から10周年を迎え、東北のみならず日本各地で追悼が行われます。我が母校も全国区の大学であるから東北出身OBや学生も数多く、彼らの心身ともの安寧を願わずにはいられません。
この十年間での心痛や癒し、震災後に劇変した世界観、いまだに何百年も変わらない価値観、失った仲間や新たに誕生した家族,,,。日頃から農業を介してたゆまなく続く人間努力と自然科学、文化や歴史さえ学んでいる我々に取って、人知を超えた自然と対峙しいかに共存するのか、を深く考えさせられる大切な日なのだと実感します。
昨年から地球規模パンデミックとして拡散し続ける新型コロナウイルス感染症については、終息はおろか収束さええなかなか見通せません。
特に大学と言う学び舎に於いての2020年は、座学はオンラインシステムと言う新しい技術が機能し始めたものの、研究学習や実習が多い農大生の実学機会が奪われてしまった非常に悔しい一年だったではないでしょうか?
海外に目を向ければ、本来は保健衛生課題であろうこの問題が、アメリカでは大統領選挙戦に於いては国内政治・人種・経済的、そして更には国際政治の駆け引きカードとして利用され混乱に極まる混乱を招き、他国に住む我々日本人にさえ大きな影響を与えました。
ちなみにそのアメリカでは一年間での死者が50万人を越え、これは人口10万人当たり150名を越える数値です。数字遊びをするつもりはありませんが、これをざっくりと日本の総人口比率に当てはめれば、甲府市(山梨県)、鳥取市(鳥取県)、松江市(島根県)など県庁所在地の人口全て、他に分かりやすい例で言えば三鷹市や熊谷市、更には渋谷区などの全住民が病死した事になります。
自らの利欲に狂い人命を無視した失政が原因。戦時のような貧困層や有色人種など社会的弱者が真っ先に戦場に送り込まれ犠牲者になる図式と全く同じで、亡くなった150万人もの方々は一般市民によるCasualty(戦争での死傷兵)と言い換えても良いのではないでしょうか?
国土も広大で、生活環境は勿論、様々な人種や価値観、国民の経済的格差も大きいアメリカに取って、ここまで絡んでしまった問題は今後も長く尾を引くでしょう。
翻って、日本は欧州はじめ他国に比すれば全く違った状況だと思えます。マクロよりミクロを、行動より忍耐を、一人の行動より同調圧力を、と言った国民性が効果を発揮しているのかも知れませんが、ここまで国民一人一人の意識に頼り切った緩い規制や行政指導でこれほどまでにウイルス感染を抑え込めているのは奇跡的なのではないでしょうか?
日本に住む我々が直面している最大の問題は、現時点での唯一の対応策(解決策ではない)としてのワクチン接種、そしてワクチン接種による時系列によるロードマップ、そしてそこから派生する社会全体への効果・影響などマクロ的な情報提供が第一義にされていない、と言う事です。日本のそれは、せっかくの政府や行政の施策目的と目標を、報道サイドが的確に反映し伝え切れず、ミクロ観点での報道の連続で社会不安を掻き立てています。
一例として、各都道府県で確認される新患者数は、連日まるで株価速報のように逐一報道され、多くの一般市民はTVスクリーン上に表示される細かな数字の上下に一喜一憂しています。一般大衆が飛びつき易くショッキングな報じ方をすればする程、ニュースには中毒性が発生しますし、視聴率(お金)が動く事は世の東西を問いません。
また、マクロ観点で見れば、COVID-19は人類史上遭遇したことの無い新型感染症です。僅か15カ月前まではその存在さえ想像だにしていなかった未知の生き物であり、『今も分かっていない』し『答えも出ていない』ものです。乱暴な言い方をすれば、誰もが知っていると思っている毎年流行するインフルエンザでさえ予防接種の反応で亡くなる方もいるのに、今回のワクチン接種副反応をまるで鬼の首を取ったかのようにトップニュースに祭り上げる。
そして本来なら衛生保健問題トピックの多くが、早朝から晩遅くまでワイドショー形式で垂れ流されるカストリ級ニュースにすり替えられて発信されています。老若男女が目に出来る地下鉄やバスなどの公共交通機関に、目のやり場に窮するような写真や恥ずかし気も無く扇情を煽るトピックを並べる中吊り広告が幅を利かせる幼稚なメディア大国日本の面目躍如と言った所でしょうか。
実際の世の中は100:0または白黒での答えばかりではありません。むしろ『今は分かっていない』『答えが無い』ものの方が多いです。農大の各研究室の中で日々昼夜問わず行われている実験はその検証であり、その実験に費やす過程こそ貴重な学びと発見があるはずです。
10年前の311を振り、今起きているCOVID-19を考える時、こうした未曽有の災害・災難時にこそ平静を保ち、家族隣人を慈しみ、弱い者には手を差し出し、科学の発展と人類の進歩を固く信じられるか?そして農大生の本文としての農業研究を通していかに社会貢献しより良い社会構築の一役を担えるのか?を再度考えてみたいと思いました。
―鎌塚俊徳
1989年 農業経済学科卒
鎌塚グローバル教育研究所 主宰
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