2018-5-4
ベトナム素描 その1
21世紀の“日いづる国”は?
ここ数年間は定期的に約半年ごとにベトナムを訪れており、18年3月の今回の滞在は2週間と少し長めの出張となりました。出発日の東京の気温は0度に近く凍える寒さでしたが、現地ホーチミン市での気温はほぼ連日36度で、これは35度や37度になったりと多少の上下こそあるものの、2週間の連日ほぼ変わらぬ暑さ。容赦なく照り付ける南国の日差しと肌にじっとりとまとわりつく熱帯の湿気、青空に広がる入道雲の下の木々の葉はあくまで青々しく茂り、そして鰊の大群のように押し寄せるスクーターの群れ、と目に入る景色自体が日本のそれとは全く違う異国であります。
私の渡航目的は、インターン生として派遣した日本人大学生を受け入れているベトナム進出日系企業へのサポート業務やお礼の挨拶周りです。
また同時に実施されているグローバルビジネス研修と銘打った学生グループの現地教育コンテンツを提供する事にありました。この団体研修ではビジネスシーンのグローバルスタンダード(世界標準)を肌身で学ぶために、現地に進出する企業や工場を訪問したり、ベトナムで働く若き日本人ビジネスパーソンとのディスカッション(なぜビジネス“マン”では無く“パーソン”と呼ぶか?はご想像通り。既にグローバルビジネス界で性別は全く問われません。また世界中で大勢の有能な日本人女性が活躍しています)。
更に、近年文科省も推奨するPBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)の素材としては、とある一部上場日系企業の現地幹部候補生としてのベトナム人採用可能性ついてのリサーチをホーチミン工科大学の学生グループと共同実施し、調査分析の後に現地マネジメント陣にその採用スキームについての提案までを行いました。
このPBL特色としては日本人学生とベトナム人学生が共同でグループを編成し、英語でのコミュニケーションを通して課題となるプロジェクトを推進。海外に進出する日系企業が直面する言語・文化的な挑戦をそのまま実体験するだろうと言う超実践的なプログラムである事です。
上記のような近年の日越関係を反映させたような教育プログラムが求められているのは、近年日本の経済界はもとより教育界もベトナムに熱い視線を送っている背景が反映されています。それは日越関係性を抜きに日本の発展は語れないほど密になって来ていますし、それにも増して在学生達が社会で活躍する頃にはべトナムに駐在する事や更には同僚がベトナム人だという事もごく普通になって来ていると想定されます。一般に知られている親日的国民性、と言うザックリとした理由に加え、政治体制や経済、歴史や文化が反映される国民性など様々な要因とその理由を知れば、新聞やメディアでの報道をより深く理解できるかも知れません。
※以下は私が現地日本人ビジネスパーソンやベトナム人の方々と話す中で感じたごくごく個人的な感想です。
●安定した政治体制:
まず共産党による社会主義国家として一党支配による政治体制。中国や北朝鮮と違った人民の意思を尊重するホーチミン思想的な社会主義。はもちろん各論を言えば行政部署によって言う事ややる事が違う、賄賂や袖の下の必要性など実際的な現場での課題は多々あるものの、この政治が安定している、と言うのは進出企業に取っては絶対的な有益環境なのだそうです。
現在、街の誰しもがスマートフォンを持ち生活する程の世界に名だたるIT国家ベトナムですが、とあるベトナム人ビジネスマンは『ドイモイの際に、新国家創造の為には科学技術開発を優先せよ!特に通信は国民に取って最優先されるべき要件だ、と我々が声をあげて国策にした。』と誇り高く語ってくれました。
●若く活動的な国民:
国をザックリと俯瞰すれば約9,300万人の人口で約29歳と言う非常に若い国民平均年齢。これは我が日本が現在約1億2,700万人で平年齢は既に46歳を超えているのに比べると、ベトナムの現在は約40年前の高度経済成長期の姿に重なります。街を行きかう人々は若々しく日々日々延びる地下鉄や高速道路、建設される高層ビル群に自分達の明るい未来と希望を見出しています。
また若い人々はドイモイ開始後の市場境内的な社会理念を持っており何かと漸進的で上昇志向、ファッションやサブカルチャーを楽しむ余裕も生まれています。またIT技術なども巧みに利用して世界からの情報を貪欲に吸収しています。
ベトナムの大学構内を歩いているといきなり『コンニチハ!』『ワタシ、日本語ヲ学ンデイマス!』などと笑顔で話しかけてくる学生が多く、日本のドラえもんは圧倒的な人気で『僕の初恋はしずかちゃんです』と言う学生もいる程です。
またホーチミン市内で500件近いと言われているに日本食レストランでは『ッシャイマセ~ッ!』『アリアシタ~ッ!』など日本のラーメン店や居酒屋と全く変わらない威勢の良い日本語を聞くことができます。留学や研修生として日本を体験、その後ベトナムに帰国し居酒屋やレストランを任されている若者も少なくなく、更には自分で日本食レストランを開店する強者もいるそうです。
●ドライな歴史認識:
歴史的には約1,000年も中国の支配を受け(中越国境紛争はつい最近の1989年まで続いていました。)、近代にはフランスや日本の植民地、更には人類史上最も悲惨な戦争だったとも言われるベトナム戦争さえ経験しています。これはあくまで私が対話したベトナム人の皆さんから感じた個人的感想でしかありませんが、そんな中でも彼達は歴史問題に対しては非常に大人びた感想を持っておられると感じました。歴史認識はドライの一言であり『事実は事実として残るし、それを後から色々言っても事実は変わらない。過去の事で子供や孫に恨みを伝え残しても将来に何も生み出さない。』と言われた方もいますし、我々日本人でさえ慎重に言葉を選ばずにはいられないベトナム戦争についても『ベトナム戦争があったからこそ国家統一ができた。ベトナム戦争から学んだ事も多い』とまで言われる老年の方もいました。
●積極的な外資の受け入れ:
かつては世界最貧国の一つだったベトナムでしたが、ソ連の1985年のペレストロイカ開始同様に86年のドイモイ(刷新)による市場経済への移行と共に新たな国づくりが始まりました。
もともと国内に資本が枯渇していた訳で、95年の第一次投資ブーム、95年のASEAN正会員、その後のチャイナリスクが反映された2,000年代初頭の第二次投資ブーム、07年のWTO(世界貿易機関)加盟、などなどがあり、急激に経済的にも国際的な注目を浴び、今や街中に外資オフィスビルが軒を連ね広告看板が立ち並ぶようになっています。
またドイモイにも謳われている社会基盤(インフラ)整備の部分では、政府援助など行政や一般企業が力を合わせ関わっています(現在ホーチミン市内にはベトナム発となる地下鉄建設が進んでおり、市内の目抜き通りには日章旗に加えJICAと日系建設会社のロゴが大きく掲示されています)。
皆さん『あの橋は日本が架けた。』『あの道は日本が敷いた。』と良くご存知です。しかし日本人は少し奥ゆかしすぎないか?と感じる事がありました。それは現地大学に出向いた際に感じた事で、大抵どこの大学も海外からの支援を受けており日本は現地の教育にも非常に大きな貢献を果たしています。とある国はどこの大学を訪れてもキャンパス建物や掲示板にその国旗と共に団体や功労者の名前を大きなプレートにして目に付き過ぎるかのように掲げていますが(表示も現地ベトナム語では無く、本国の後発の人達に知らせるかのようにそれ見よがしの母国語だったりしますが)日本の政府や企業が支援するものはほぼ全く目立ちません。もちろん奥ゆかしさは大切ですが、そもそもそこを行き交う大学生達が日本の支援や協力自体を知らないことも問題だろうと思います。奥ゆかしさを超えて歯がゆさを感じすにはいられませんでした。
●躍動を続ける経済:
ベトナムの一人当たり平均GDPは約2,000ドル程度であり、現在は街を走るスクーターが主なる移動手段ですが、これが$3,000を超えると国内消費を支える中間層が数多く誕生し、生活様式や消費行動など含め社会の在り方が劇変すると言われています。特にこの$3,000ラインの目安としてモータリゼーション(自動車社会)が実現し、実際に私が訪れるホーチミンやハノイなどの都市部ではそれが顕著でして、半年ごとに訪れる私でさえ毎回渡航する度に自動車が増えていることを実感します。
ホーチミン市やハノイ市郊外には日系巨大ショッピングモールが誕生し、人々の生活様式さえ劇変させています。
●今後の発展可能性:
これまで安価で優良な労働力を理由に、海外からの進出企業の生産工場としての役割を果たして発展して来たベトナムですが、今後は消費マーケットとしての可能性も大きく育って来ています。
こと経済的成長率では世界第一位の年間平均8.8%の継続成長が見込まれ、2050年には世界14位の経済大国になる事が見込まれていますので、日系ビジネスとしては国外向け商品の生産工場から、日本の商品やサービスなどを購入してくれる巨大なマーケットとしての可能性が大きく膨らんでいます。
1989年 農業経済学科卒
鎌塚俊徳
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