wrote by Tai Takehara.
それは一本のLINEから始まりました。
去年眼の手術をしたアルゼンチン Buenos Airesの校友に具合は如何かと3月にお見舞いLINEを送信したら、眼は回復した様子で6月にAsuncionでゴルフでも?との返信が来たので、来るもの拒まずの精神でOKしてしまった。それが中南米6カ国の訪問になるとは世の中まさにSerendipityの王子様である。
おそらく、一度には書ききれないと思うので何回かに分けてその旅のトピックスを綴っていこうと思います。最初に、Asuncionと言ってもピンとこない人もいると思うので簡単に説明すると南緯25度 南米大陸のど真ん中に位置するパラグアイ共和国の首都で戦前戦後より日本人が移住し農大との関わりも多い。
国内には今でも7箇所の日系人移住地が日本文化を継承しながら存在し、まさに地球の反対側の日本がそこにある。アスンシオンと言ってピンと来なくてもイグアスの滝のあるところと言えば皆さんご存知だろう。 パラグアイはアルゼンチンとブラジルとボリビアに囲まれた海のない国で、ある意味日本とは正反対の国だが駐日大使も日系人と言う非常に親日な国である。そしてもうひとつ南米で海のない国がお隣のボリビアである。今回は様々な偶然が重なりAsuncionからボリビアのSanta Cruzまでバスで国境を越えることになったのでその話からしようと思います。ボリビアもあまりピンとこない人が多いと思うが「ゲバラの日記」のチェ・ゲバラが死んだところと言えば分かるのではないだろうか。1967年だから私が日本の小学生だった頃の話だ。ボリビアのジャングルでゲリラ活動をしていたチェ・ゲバラと言うアルゼンチン人医師がボリビア軍に殺されたと言うニュースをなぜか今でも覚えている。あの頃のビッグニュースで私が覚えているのはゲバラとアメリカのケネディ大統領暗殺と第一回東京オリンピックくらいだが、半世紀後そのボリビアのジャングルに自分が来るとは想像もしていなかった。Asuncionのバスステーションに着いたのは夕方18:30頃、今が冬の南米は既に日が落ちて薄暗いバスステーションには何台ものバスが並んでいてそのバスの合間をチパ売りの女性がカゴいっぱいにチパ(トウモロコシと豚脂とチーズで作ったパン)を乗せて乗客に売り歩いている。声をかけると保温の為に包んでいる布を広げて一個1000ガラニー(5700ガラニー=1ドル)くらいで温かいチパを売ってくれる。(このチパを食べてマテ茶/テレレを飲めばあなたはもうパラグアイ人だ。)
待つこと約30分、最新のバスでWI-FIも付いていたらいいなーと期待して待っていたが来たのは大型だが結構年季の入ったボリビアの国の形をデザインしたロゴの描いてあるバスだった。もちろんWI-FIはない。それでも、ほぼ満席のバスは19:30に30分ほど遅れて猛スピードで出発した。予定表では22時間かけて翌日の17:00にボリビア第2の都市Santa Cruzに到着する筈である。
今回バスで陸路ボリビアに行くと言ったらパラグアイの人にもよした方がいいよと笑われたが、ボリビアとの国境側のパラグアイ北西部はチャコ地方と呼ばれ雨が少なく(年間降水量約600mm)未だに未開発の土地も多い地域で近年ドイツ系の移民が組合を作って牧畜を大規模に展開しこれからの発展が期待される一大農業地域だと聞いたので北米アメリカの農業を知る人間としては是非自分の眼で見てみたかった。出発して暫くすると厳つい車掌が白米の上に揚げた鶏肉を乗せた夕食を乗客に配り始めた。どうやらお食事付きのようだ。
後で知ったがボリビアには田んぼがあり米生産を大規模にしていて結構お米を日本のようにスティームして食べる。そして衛生面を考えて何でも油で揚げて食べるからこの様なメニューになるのだそうだ。それにしてもバスは猛スピードで走る。道の舗装があまり良くないのでなおの事スピード感を感じるのかも知れないが一本道の国道をガンガン飛ばす。と急にスピードを少し落としたかと思ったら今度は舗装してないダートの道になったので揺れが酷い。それでも構わずガンガン行く。乾いていたからまだ良いが雨が降ったらどうするんだろうか。不思議なことに舗装されている道とされていないダートの道が交互にあって国道なんだから全部舗装道路にすれば良いものをと思っていたら、何でもこの国道を全線良い道にするとパラグアイから西にボリビアを抜けて海のあるペルー側に大型トラックが抜けられて太平洋西海岸からパラグアイ産の商品を短時間で輸出する事が出来るようになるので何処ぞの国がそれをさせない為に政治的力学を使って良い道にさせないそうである。どこへ行っても国と国との関係は力ずくのようだが、パラグアイから太平洋岸にトラックで抜けるルートが出来た時はパラグアイ経済は大きく発展するに違いない。(現在パラグアイからの輸出はあまり深くないパラグアイ川を利用しての水上輸送が中心だから積載量も限られ時間もかかり競争力がないと言う。)
真っ暗なチャコ地方を只々進むバスの中からふと気が付くと満天の星空が広がっていた。北半球では観れない南十字星も何処かにあるんだろうななどとウトウトしながらそんな事を考えながらバスは殆どノンストップでガンガン走り続け、うっすらと明るくなり始めたと思って目を覚したら低木の広がる乾燥したチャコ地方の大地を綺麗な朝焼けが照らす光景が今度は眼前に広がっていた。
アメリカにも乾燥した褐色の景色はあるがチャコ地方は雨が降らないわりには樹木が多い様に思えた。いづれにしてもまだ手付かずの土地がそこには広がっていてパラグアイの国の計画ではここに道を整備してソーラー発電設備を作り電力を供給して農業を中心に人口を増やして行くとの事である。片や耕作放棄地が溢れ問題だと言う国があるかと思えば地球の反対側では未開発耕作地をこれから開発すると言う。そう言う意味でも日本とは正反対の国である。
そろそろボリビアの国境に来ても良いんじゃないかと思っていたらゲートの様なものが見えて来てまた料金所かなと思ったら(パラグアイもボリビアも国道は有料)大きな屋根が道路の上を覆っていてその下にバスが止まった。周りを見渡しても何もない処にポツンと建物が建っていてパラグアイとボリビアの国旗が立っている。どうやらこれが国境らしい。屋根の下には長い木製の机が道路に沿って置いてありその横に止まったバスから車掌が我々の荷物を下ろし始めた。
自分の荷物をピックアップして順番にその机の前に並んで荷物を開けて持ち物検査をしてまたそれを閉じて横の建物/税関に入ってパスポート検査をする段取りのようだ。出発が夜だったのでそこで初めて乗客全員の顔を見ることが出来たわけだが中には大きなスーツケースを一人で5個も6個も持ったサングラスをかけた女性がいたりしてどうやら運び屋さん達はここで税金と言う名のお金を払って密輸をするらしい。かく言う私もブラジルから再入国した際のスタンプがパスポートにないと言いがかりを付けられ(ブラジルビザは持ってたしパラグアイはビザなしだから全く不備はない筈だが?)金228,000ガラニーを払う羽目になった。チーパ228個分である。
普段なら引き下がらない私だがその時はそれどころではなかった。実はその時税関職員はほぼ全員W杯サッカーのテレビ中継を観ながら仕事をしていて私がボリビア国境で言いがかりを付けられている時にタイミング良く(悪く?)日本がコロンビアに勝ったのである。そう6月19日だ。
金を払えと言っている職員もハポン!ハポン!とグーサインで笑いながら金を払えと言う。私も払いながら一緒にハポン!ハポン!と喜ぶしかなかった。国境ではもう一箇所金を取られた。バスで我慢していたのでトイレに行こうとすると入口の所でやはりテレビでサッカーを観ていた男が何か言っているどうやら有料トイレのようだ。2000ガラニーほど払うとトイレットペーパーを50センチほど渡してくれた「Gracias」。何でパラグアイ人がバスでパラグアイ- ボリビア国境を越えるのをやめた方がいいと言ったのかやっと分かった。これはどこの国でもそうだが外国を出国する際には気を付けよう。一見の客が出て行く時にはどこも厳しいのだ。みんな置いてけと言う訳だ。それでも、持って行った空撮用のドローンも取られず(かなり欲しそうな顏をしてたが)何とか国境を越えボリビア国内へ入り一路Santa Cruzに向けバスはまた猛スピードで走り出し17:00には到着。する筈だった。
(to be continued)
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