国連が提唱した17項目からなるSDGs(持続可能な開発目標)は、そのほとんどが東京農業大学の教育目標と重なり、これに向かう人材の育成を目指している。東京農業大学に限らず、他の大学でも目指すべき方向は重なり、一方民間企業ではCSRの中にSDGsに連なる活動を念頭においている。本屋を訪ねると、SDGsに関する書籍コーナーがあり、文字通り世を上げてのSDGsブームである。
ここでSDGsに関連づけて考えたいのが、家族農業の捉え方である。国連は、今年から2028年までを「家族農業の10年」と定め、家族農業が食料増産と貧困撲滅に大きな役割を果たすものと位置づけている。
家族農業は、先進国、開発途上国を問わず、食料生産の主要な担い手であり、わが国やEU、そしてアメリカでも、農家、農場の95%以上は家族労働による家族農業なのである。世界を見渡せば、8.2億人が栄養不足人口に数えられ、極端な貧困層の8割近くが農村で暮らしている。途上国の農村で家族が農業を営んでいるにもかかわらず、栄養不足と貧困に直面している現状からみれば、狭小で分散した耕地、灌漑などのインフラ不備、資本と技術の不足など劣悪な営農条件のもとで、いかに途上国の家族農業が低生産性の状態におかれているかわかろうというものである。まさしく生きること自体の持続性が家族農業に問われている。
ここで、家族農業が備えているResilience(復元力)こそが持続性と対をなしていることをいま一度確認しておきたい。途上国の農業が劣悪な条件の中でも何とか持ちこたえているのが、このResilienceの力だ。
農村の人的ネットワークによる相互の助け合い、伝統的な知恵や情報の共有、自然資源や環境と共存・共生する仕組み、共同体および家族の強い絆と信頼関係などが、農村を取り巻く外部環境の変化、例えば干ばつや洪水などの気象変化に対応して復元できる力を有している。先達が歴史的に連綿と積み上げてきたこうした無形の資産が基盤を失うと、家族農業の持続性は崩れ落ち、食料不足と農村貧困はいよいよ厳しさを増してくる。
食料不足は資本の投入と適正技術の開発・導入により次第に解消へ向かい、農村貧困は域内に多様な雇用機会を創出することで緩和されるというのが、これまでの主流となる開発ロジックであり、インフラの整備と人材の育成がそのための重要な前提条件であった。また成長の糸口を、輸出の促進と海外投資の導入に求めるというものである。
確かに、この開発ロジックにはそれなりの成果があったことを認めるが、結果として、食料生産の不安定成長と農村における農家世帯格差の助長がもたらされた。それが、食料増産と貧困削減の努力プロセスにみられる社会的コストといえないこともない。しかしながら、はたしてそこに家族農業のもつ復元力と強靭性がしっかりと成長モデルに組み入れられていたか。その点がしきりに気になる。
貧しいなりにも、知恵を出し合い、先人の言い伝えに従い、生態系に配慮し、社会の秩序と掟を守ることで、農村コミュニティの調和を保ちつつ、農業生産を続け、互酬性のもとで基礎食料が不足する者には再分配を施してきたのではないか。SDGsの達成も、まさしくそこを最大限に配慮したうえで、外部から諸資源を導入し、様々な参画・参加の機会を与えることでなしえていくものであろう。
SDGsをいかに解釈するかではなくて、SDGsを達成するために何ができるかを考えるときである。
板垣 啓四郎
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